第17回
人々は「遅れる事」に慣れていった
あの時、日本はどう動き、どう変わったのか?
『皐月事変』以前、日本社会は「即時」を前提として動いていた。
- 即時配送
- 即時認証
- 即時返信
スマートフォンの画面に表示されるプログレスバーが数秒止まるだけで、当時の人々は苛立ちを覚えたものである。
速度こそが正義であり、即時性こそが社会の成熟度を示す指標だった。
だが、2027年5月5日に発生した『皐月事変』を境に、その信仰は強制的に解体されることになる。
日本各地で発生した断絶は、それまでの「災害による分断」とは本質的に異なっていた。
道路が物理的に崩落したわけでも、トラックが壊れたわけでも、ドライバーが倒れたわけでもない。
「動かしていいという確認が取れないから」止まったのである。これは、当事者となった自分たちから見ても極めて分かりにくい麻痺だった。
目の前には、動かせる要素のすべてが揃っているのだ。
しかし、
誰も動けず、動かせない。配送承認システムとの通信が繋がらない。
届け先の受取確認システムが応答しない。
この物資を、このルートで動かして本当に良いのかの確認が取れない。
当時、現場を緊縛していたのは「無数の不確定性」だった。
「荷物は目の前にある。でも、触っていいか分からない」当時、神戸港近くの民間倉庫で、山積みのパレットを前に立ち尽くしていた管理職の言葉が、私の取材ノートに残っている。
この一言は、2027年以後の「遅延」の本質を何よりも正確に表している。
事変直後、多くの生活者や企業は、これを一時的なインフラ障害だと信じていた。
数日耐えれば、中央の同期網が復旧し、元の「即時接続の世界」に戻るだろうと。
しかし、2027年後半に入ると、社会全体が静かに、しかし決定的な諦めと共に理解し始める。
これは一時的な例外ではない。
確認手段が失われた非同期の世界では、「待つ」ことが標準に戻った。
それは、一世紀以上続いた、通信による広域同期性の時代が終わった事を意味していた。
当時の生活面や社会面の記録を紐解くと、2028年から2029年頃にかけて、記事の論調が急速に変質していくのが分かる。
かつてのような政府や通信会社への激しい糾弾は影を潜め、代わりに次のような実務的な特集やガイドラインが紙面を占めるようになる。
- 「確認待ちで止まっている荷物を、現場判断で引き取るには」
- 「中央承認なしで動かして良い免責範囲の境界線」
- 「通信不通時における、地域間現場判断マニュアルの作り方」
社会が、「正しい返事」を待つことを諦め、最低限の機能を維持するために、「遅さの規格化」を求め始めていたのである。
私は2028年春から夏にかけて、神戸港周辺の居住地域に長期間滞在し、取材を続けていた。
当時、地域の主要スーパーでは、生鮮食品や日用品の棚に「本日未到着」「到着日時未確認」という手書きの掲示が出ているのが日常風景となっていた。
しかし、買い出しに来る住民たちからは、物流の遅れを責める声は上がっていなかった。
自分ができないことは、他人もできない。
その冷徹な事実が、生活者として個々人の腑に落ちていたのだろう。
当時の取材ノートには、ある個人商店の店主が漏らした、諦念とも達観とも取れる言葉が記されている。
「来る時は来る。来ない時は来ない。それだけです」
この言葉の背後には、遅延への適応ではなく、即応喪失への適応があった。
人々は同期性を諦めたのではない。
「確認が成立しない世界では、即時性という概念そのものがそもそも存在し得ない」という、新しくも古い現実をそのまま受け入れたのである。
そして、この「待つことへの順応」は、後の社会の基盤となる「送記文化」への強力な呼び水となっていく。
確認がその場で取れないのであれば、まずは現場の責任において行動し、記録を複数の媒体に残して、後から時間をかけてAIに照合させればいい。
即時の個別一致を諦め、遅れてやってくる大量の事後照合をAIによって全件照合することが、許容・成立したのである。
この発想の転換が、非同期社会を支える人間の側のOSとなった。
それは、かつて秒単位の同期を求めていた社会が、月日単位の照合で成立する新しい社会へ移行した瞬間でもあった。
しかしその一方で、自衛隊や、独自の判断権限を現場に持たせた一部の地域維持組織だけは、その狭間で動き続けていた。
確認を前提として設計されていた既存の巨大組織は、この速度変化についていけず、次々と機能不全に陥っていたからである。
彼らは確認を待たず、自らの責任で判断を「引き受けて」いった。
後年、多くの政治学者や歴史研究者は、この2028年前後の時期を「日本社会の軍隊化の本格的始動」と位置付ける。
だが、それは単なる軍備の拡張やイデオロギーの右傾化といった単純な話ではない。
「確認できなくても、遅れることを許容しながら、それでも判断を下して動く社会」へと、構造そのものが変質し始めた転換点だったのだ。
今日も港の掲示板には、数日遅れの到着予定表が、手書きのまま静かに貼り出されている。
だが同時に、電子通信社会の新たな進化の到来でもあったのではないかと思うのである。
ここに感謝を記したい。
確認できないなら、自分で確認する。
「自分の知識で行動できる人間を育てる」子供達は、その方法を最初から学んでいた。