HG首都新聞
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HGCN 論説部 2040年転載版 連載:日本の変化に想う 記録系列 継続中 ND-JP-INF-NET-HG02

第15回

誰も開戦を宣言しなかった

あの時、日本はどう動き、どう変わったのか?

HG首都新聞論説部 / 2040年転載版

2028年以後、日本周辺海域でも断続的な武力衝突が発生していた。
一般に「網大戦前期武力衝突」と総称される事象である。
現在も続くこの紛争だが、興味深いのは、その"開戦日"が存在しない点である。

なぜ開戦日が存在しないのか。
理由は、極めて単純だった。
誰も戦争を始めようとしていなかったからである。

各国の立場は、ほぼ共通していた。

  • 自国の船が、どこにいるかを確認したかった
  • 相手の船が、何をしているかを確認したかった
  • 港の状況を、自国の組織へ伝えたかった

互いに攻撃命令が出ていた訳ではない。
自国漁船を守る。
輸送船を確認する。
港湾へ入る船団を把握する。
それぞれが、自国の安全を維持するための通常任務だった。

問題は、その「通常」が、相手には異常に見えてしまった事である。

もちろん、無線による呼び掛けが機能していなかった訳ではない。
船名を名乗る事はできる。
目的地を答える事もできる。
警告に応答する事もできる。

だが、それだけでは足りなかった。
その船が本当に入港許可を得ているのか。
積荷の扱いは正当なのか。
航路変更の理由は記録と一致しているのか。
それらを確認する照合系が死んでいたのである。

つまり、声は届いていた。
しかし、その声だけでは「通してよい」という判断には届かなかった。

その結果、双方が最悪を想定しながら距離を詰めるしかなくなった。
そして、臨検へ発展することもしばしばであった。

本紙海運記録によれば、2028年夏以降も、日本近海では、

  • 位置情報の相互確認ができない船舶同士の接触事案
  • 識別信号の未照合による緊急回避
  • 入港許可確認ができないまま接近した船と巡視船の衝突

などが続いていた。
しかし当時、多くは「事故」や「不明障害」として処理された。

実際には、どちらが先に接近したのか。
警告は届いていたのか。
識別信号は正常だったのか。
その全てを後から証明する事が難しかった。

だから行政上も外交上も、「事故」と整理する以外に方法がなかったのである。

なぜなら、

各国とも全面的な戦争を望んでいなかった

からである。
実際、この認識は現在でも大きく変わっていない。
しかし現場海域では、確認不能を前提とした対峙だけが積み重なっていった。

そして、その積み重ねが、後に「網大戦前期武力衝突」と呼ばれる時代を形作る事になる。

本紙保存の2028年秋海上警備記録には、こんな証言が残る。

「相手が何をしようとしているか分からない。」
「こっちの意図も伝わらない。」
「だから近づかれたら、最悪を想定するしかなかった」

ここに2028年以後の局地衝突の本質がある。
それは領土戦争でも資源戦争でもなかった。
「確認できない事によって生まれた緊張」の連鎖だった。
当事者たちは、目の前の船を守る行動を取っただけのはずだった。

私は2028年冬、輸送護衛隊を取材している。

  • コンテナ
  • 燃料ドラム
  • 給水タンク
  • 護衛艦

あの光景の奇妙さは、今でも強く記憶に残っている。
生活維持と軍事運用が、完全に同じ場面に入り込んでいた。

そして重要なのは、日本社会に戦争の狂気が存在したわけではない事だ。
むしろ逆である。
人々は単に

「未確認での運用を増やしたくない」

と考えていた。

だからこそ、海上での確認・識別能力の維持が国家最優先事項になっていく。
問題は、その「確認能力の維持」が、武装なしでは成立しなくなっていた点だった。

  • 確認するために近づく
  • 近づくには安全を確保しなければならない
  • 安全確保には武装が要る

つまり武装が目的だったのではない。
確認を成立させる手段として、武装が必要になったのである。
その結果だけが、軍事化という形で社会に現れた。

この連鎖が、静かに軍事化を進めていった。
誰も開戦を宣言しなかった。
だが「確認できない海」は、確かに変わっていた。

そして日本社会もまた、自覚の薄いまま、武力で管理する国家へ変貌していったのである。

本稿執筆にあたり、本紙保存資料、2028〜2029年海上接続防護記録、東シナ海監視資料の提供を受けた。ここに感謝を記したい。

【次回掲載予定】
第16回「平和利用衛星の墜落」

空でも、同じ問題は繰り返された。

「軌道の確認系が切れれば、また港も止まる」

確認できない事への恐怖は、再び社会を揺らし始める。