HG首都新聞
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HGCN 論説部 2040年転載版 連載:日本の変化に想う 記録系列 継続中 ND-JP-INF-NET-HG02

第13回

軍隊は戦争だけを意味しなくなった

あの時、日本はどう動き、どう変わったのか?

HG首都新聞論説部 / 2040年転載版

『皐月事変』以前、日本社会において「軍隊」という言葉は、単純だった。

戦争のための組織。
あるいは、
戦争を抑止するための組織。
確かに、それまでの実際の活動は災害対処や海外のPKO活動などが殆どで、戦闘行為が頻発していたわけではない。
しかし、少なくとも、軍隊という組織の本質について、多くの人々はそう理解していたはずだった。

だが『皐月事変』以後、日本社会は別の形で軍を経験することになる。

「荷物の行き先を決める軍」

である。
これは比喩ではない。文字通りの話だ。
2028年頃、神戸港では自衛隊員が配送優先順位の決定に関与していた。
理由は単純だった。それを決められる組織が他になかったからである。

  • 港には荷物がある
  • 配送先の候補もある
  • トラックも燃料もある

しかし物流会社は「客先に確認が取れない」と言う。
受注した企業は「発送処理システムにアクセスできない」と言う。
行政は「管轄外の判断はできない」と言う。

岸壁には荷物が積み上がっていた。
クレーンも動く。
フォークリフトも待機している。
トラックも並んでいた。

動けない理由は設備ではない。
「この荷物を先に出してよい」と決める者がいなかったのである。
現場には判断を待つ人だけが増え、判断する人だけが存在しなかった。

誰も決めない。
荷物は岸壁に積み上がる。

そこへ自衛隊員が入ってくる。
状況を確認し、優先順位をつけ、動かし始める。

今日届いた燃料を病院へ回すのか。
発電所へ送るのか。
避難所へ優先するのか。
港へ残すのか。

一つの判断で、その日の地域全体の動きが変わる。
それは行政判断にも見えた。
物流管理にも見えた。
だが現実には、迷彩服を着た隊員達が、その決定を引き受けていた。

これは戦闘ではない。だが軍の行動様式だった。
そしてその行動の正当性は、「やらなければ社会が止まる」という事実だけに拠っていた。

後年、一部論者は2028年以後の接続維持軍を「巨大インフラ公社」のように説明した。
だが私は、その表現には強い違和感を持っている。
なぜなら、現場で見た彼らは、やはり軍だったからである。

  • 命令系統で動く
  • 武装している
  • 拒否できない権限を持つ
  • そして何より、その場で判断し、動ける組織だった

本紙写真資料には、2028年頃の記録が大量に残っている。

  • 燃料ドラムを運ぶ隊員
  • 配送リストを確認する車列
  • 給水の優先地区を割り付ける担当者

それらの作業は、いかにも民生的に見える。
写真だけを見れば、それは災害復旧の記録にも見える。
隊員達は住民へ水を配り、荷物を積み替え、配送表へ印を付けている。

だが、その一枚一枚を注意深く見ると、必ず小銃を携行した警備員が写っている。
判断には、常に武力による裏付けが伴っていた。
そこに私は、災害対応とも行政とも違う、「軍」という組織の本質を見たのである。

これは災害ボランティアではない。
軍である。

本紙論壇欄資料には、2029年掲載の興味深い投稿が残っている。
地方大学教員による短い寄稿だった。

「我々は知らぬ間に、軍に"何を誰に渡すか"を決めてもらう社会を作ってしまった。」
「これは平和の問題でも戦争の問題でもない。」
「社会の意思決定をどこに置くか、という根本の問題である」

当時、この文章は大きな反響を呼んだ。
なぜなら、多くの人々が既にその感覚を共有し始めていたからである。

問題は、人々がその状況を受け入れてしまったことだ。
理由は単純だった。
実際に動いていたからである。

  • 荷物は届いた
  • 水は出た
  • 電気は配分された

軍が判断を引き受けている間、社会は回っていた。
そしてその「回っている」という事実が、問いを沈黙させていった。

2028年以後の軍隊化とは、「軍ではなくなった」のではない。
「軍が担う範囲が、戦闘から意思決定へ広がった」のである。

私は後年になってようやく気付いた。
当時、人々が受け入れたのは軍隊ではない。
「決めてくれる誰か」だったのである。

その役割を偶然、自衛隊が担った。
もし同じ能力を持つ別の組織が存在したなら、社会はその組織へ同じ役割を求めていただろう。

つまり問題は、軍隊だった事だけではない。
判断を引き受けられる組織が、そこしか残っていなかった事だったのである。

2040年現在、若い世代の中には「軍が物流や配分を担うこと」へ違和感を持たない人間も増えている。
だが私は、あの頃を知る人間として、やはり考えてしまう。
その境界線は、どこで引けるのか。

そして我々は本当に、あの時別の選択ができなかったのだろうか。

本稿執筆にあたり、本紙写真部保存資料、2028〜2029年論壇欄保存紙面、神戸港仮設通信所記録群の提供を受けた。ここに感謝を記したい。

【次回掲載予定】
第14回「海は静かに戦場と化した」

陸の問題は海上へも波及した。

「港は開いていた。船も来ていた。しかし機能しなかった」

そして海の上では、その判断の空白を埋める実力者が必要になった。