第24回
彼らは最初から「非同期」を生きていた
あの時、日本はどう動き、どう変わったのか?
2040年も盛夏を迎えた現在、『皐月事変』当時はまだ幼く、常時接続社会の記憶をほとんど持たない新卒の世代が、社会の現場へ入り、やっと落ち着き始めた頃かと思う。
後に「非同期世代」と呼ばれるようになった人々だ。
これまで、紙の地図を広げ、自分の足で地域を確認する子供達についても触れた。
その子供達の先陣となる世代が、既に大学や企業、自治体、接続維持組織の中で、社会を動かす側へ回り始めている。
彼らは、『皐月事変』以前の社会を知識としては知っている。
どこにいても同じ情報を参照でき、送信と認証がほぼ瞬時に成立したこと。
地域によって異なる結果など、意識する必要がなかったこと。
授業でも教わり、記録映像も残っているし、年長者から当時の話を聞く機会もある。
しかし、身体では生きていない。
この差は、我々が思っている以上に大きい。
最近、彼らと話していて最も驚いたのは、「確認が取れない」という状態への感情的な反応が薄いことである。
我々の世代は、確認が取れなければ、まず不安になった。
送ったはずの連絡へ返事がない。
荷物の現在地が表示されない。
相手の認証結果を確認できない。
何かが壊れている証拠だと感じ、画面を更新し、何度も接続し直し、情報が戻るのを待った。
しかし、彼らは違う。
「確認できないなら、先に送記しておけばいい」
これが彼らの標準である。
そのうち、AIが最適化した情報へ直してくれる、という感覚だ。
確認が取れない間にも、自分の側の記録を残し、後の照合へ渡す。
単純に、それが社会の手順なのである。
非同期世代と呼ばれる人々は、「皆が同じ情報を同時に持つこと」に強く執着していない。
自分の端末に表示された内容と、相手が見ている内容が一時的に違う。
地域によって認証状態が異なる。
昨日送られた記録が、別の経路を通って今日到着する。
彼らは、それを直ちに異常とは考えない。
誰が、いつ、どの情報を見たのか。
どの経路で記録が届いたのか。
その後、何が確認されたのか。
それらを照合しながら、共有できる事実へ近付いていく。
現実が事実として収斂していく。
それが彼らにとっての普通の社会なのである。
育った地域や家庭環境による違いはある。
それでも、常時接続を失った我々と、最初から非同期を生きる彼らとの間には、埋め難い感覚の差がある。
接続維持軍に対する認識にも、その差は表れている。
我々の世代にとって、自衛隊の権限拡張や接続維持組織の常設化は、大きな社会変化だった。
港湾に武装した要員がいる。
海上輸送を護衛艦が監視する。
接続維持軍が物流、通信、軌道設備の運用に関与する。
2027年以前を知る者にとって、それは決して自明の光景ではない。
しかし彼らにとっては、生まれた時から存在する社会構造だった。
本紙の取材に、ある大学生はこう答えている。
「特別なことだとは思いません。最初からそうだったので」
私は、その言葉に違和感を覚える自分に驚かされた。
その当たり前を、想像できなかったことに。
彼らは、軍隊化以前の自衛隊をほとんど記憶していない。
接続維持軍が存在しない港を知らない。
だから、私はこの世代を複雑な感情で見ている。
一方では、頼もしい。
記録の不一致を恐れず、確認できない状況でも自分の判断範囲を理解し、必要な情報を残す。
我々が長い時間をかけて身に付けたことを、彼らは日常の習慣として行っている。
他方では、少し怖い。
彼らは「一致が失われる恐怖」を知らない。
送記や照合の仕組みさえ存在しない状態を、身体で経験していない。
だが、それが幸せなのかは判らない。
私が彼らの幸せを願うことが傲慢なのかどうかさえ。
非同期世代は、確認が遅れることには強い。
記録を残せばいつか届くこと、どこかに観測地点が残っていること、後から照合できる仕組みが存在することを前提にした強さでもある。
しかし、もし、その前提まで失われたらどうなるのか。
記録しても残らない。
送記しても、受け取る場所がない。
観測しても、別の観測と照合できない。
その時、彼らは何を頼りに判断するのだろう。
もちろん、これは彼らだけの問題ではない。
我々もまた、『皐月事変』以前には、完全同期という前提が失われる事態を想像できなかった。
経験したことのない喪失へ備えるのが難しいという点では、どの世代も同じである。
だからこそ、経験を残す必要がある。
なぜこの仕組みが作られたのか。
便利な手順だけでなく、その手順が必要になった理由まで渡す。
旧型の制御盤、紙の地図、送記に残す観測者名と経路。
その全てに、残されてきた理由がある。
仕組みだけを継承し、理由を失えば、やがて形だけが残る。
形だけになった仕組みは、効率化の名の下に削られていく。
非同期世代は、我々とは違う物差しを生きている。
いやむしろ、現在の社会へ最も自然に適応した世代である。
だから、次の社会を担うのも彼らなのだし、何を継承するかを決めるのも、彼ら自身である。
だが、何を渡せるかは、我々の側の責任だ。
恐怖を、そのまま伝えることはできない。
経験していない者へ、経験した者と同じ実感を求めることもできない。
それでも、なぜ人々が記録を残したのか。
なぜ一致しない記録を捨てなかったのか。
なぜ確認できない時にも、観測を続けたのか。
その理由なら、言葉として渡すことができる。
彼らは最初から「非同期」を生きていた。
だからこそ、我々が失った社会ではなく、我々がなぜ今の社会を作ったのかを伝えなければならない。
それは、過去を懐かしむためではない。
彼らが、次に失われるかもしれない前提を、自ら考えるためである。
本稿執筆にあたり、本紙世代間意識調査資料、2035〜2040年非同期世代関連資料、本紙論壇欄保存紙面の提供を受けた。
ここに感謝を記したい。
答えは出ていない。しかし問い続けることに意味がある。
変えてはならないのは、答えではない。問い直せる状態である。問い続けられる国家として、我々が今できることは何か。