第11回
軍隊化は拍手の中で始まった
あの時、日本はどう動き、どう変わったのか?
後年、一部論者は2028年前後の日本を「熱狂の時代」と呼んだ。
しかし少なくとも、私の記憶にある当時の空気は、もう少し静かだった。
疲れていたのである。人々は長い麻痺に消耗していた。
その疲労の中で生まれた感情は、ナショナリズムでも軍事崇拝でもなかった。
もっと単純で、もっと切実なものだった。
「頼むから、誰かが決めてくれ」
これが、当時の社会の本音だったと思う。
『皐月事変』以後、日本の企業社会は奇妙な状態に置かれていた。
現場には仕事をしたい人間がいる。機械もある。物資もある。
だが誰も「これをやれ」と言えない。なぜなら「やれ」という根拠を確認する回線が死んでいるから。
上司に聞けない。本社に確認できない。契約書の照合システムも動かない。
結果、有能な人間ほど止まっていた。動いて後で責任を取らされるのが怖かったから。
2028年夏、政府与党は参議院選挙で歴史的勝利を収める。
当時の新聞見出しを振り返ると、そこには「安全保障」や「国家主義」より:
- 「社会を動かし続ける」
- 「判断できる政府」
- 「確認待ちをなくす」
といった言葉が並んでいる。これは重要な点だ。
当時の支持構造は、旧来型ナショナリズムとは少し違っていた。
人々は「強い国家」を求めたというより:
「決定を引き受けてくれる国家」
を求めていた。
本紙保存の地方遊説記録を見ると、当時の街頭演説でも最も拍手が大きかったのは、憲法論そのものではない。
むしろ:
「現場が動いていいと言える仕組みを、国が責任を持って作ります」
という言葉だった。
軍隊化受容もこの文脈で理解する必要がある。
人々が自衛隊の拡権を受け入れたのは、軍事力への期待ではなかった。
「判断を引き受けてくれる組織への負債感覚」だった。
当時、多くの現場では自衛隊車列が日常風景化していた。
そして人々が見ていたのは、武装した軍隊ではなく:
- 確認なしに動いてくれる人間
- 「やります」と言える人間
- 決定を誰かに押し付けない人間
だった。
私は当時、この言葉を何度も聞いた。港湾労働者から。自治体職員から。配送業者から。
「あの人達がいなかったら、私達は今も確認待ちのままだった」
思想は違っても、皆そこだけは共有していた。
つまり2028年の軍隊化受容は、理念の勝利ではない。
「判断の空白」が続いた後の、疲れ果てた安堵だった。
私は今でも、2028年参院選後の夜を覚えている。
テレビでは与党圧勝速報が流れている。だが店内は、熱狂というより安堵に近かった。
誰かがこう言った。
「これで少しは、動いていいって言ってもらえるかな」
その瞬間、私は少し寒気を覚えた。
なぜならその言葉には、もう「元へ戻る」という発想が存在していなかったからである。
軍隊化は、叫びの中ではなく、拍手の中で始まったのである。
本稿執筆にあたり、本紙政治部資料、2028年参院選地方遊説記録群、神戸港湾地域聞き取り資料の提供を受けた。ここに感謝を記したい。
「判断を引き受ける」という役割は、家庭からも人を奪っていった。
「お父さんは、みんなに安心してもらう事をしてるんだって。」
歪み始めた「社会の構造」とは、何だったのか。