HG首都新聞
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HGCN 論説部 2040年転載版 連載:日本の変化に想う 記録系列 継続中 ND-JP-INF-NET-HG02

第11回

軍隊化は拍手の中で始まった

あの時、日本はどう動き、どう変わったのか?

HG首都新聞論説部 / 2040年転載版

後年、一部論者は2028年前後の日本を「熱狂の時代」と呼んだ。
しかし少なくとも、私の記憶にある当時の空気は、もう少し静かだった。
疲れていたのである。人々は長い麻痺に消耗していた。

その疲労の中で生まれた感情は、ナショナリズムでも軍事崇拝でもなかった。
もっと単純で、もっと切実なものだった。

「頼むから、誰かが決めてくれ」

これが、当時の社会の本音だったと思う。

『皐月事変』以後、日本の企業社会は奇妙な状態に置かれていた。
現場には仕事をしたい人間がいる。機械もある。物資もある。
だが誰も「これをやれ」と言えない。なぜなら「やれ」という根拠を確認する回線が死んでいるから。
上司に聞けない。本社に確認できない。契約書の照合システムも動かない。
結果、有能な人間ほど止まっていた。動いて後で責任を取らされるのが怖かったから。

2028年夏、政府与党は参議院選挙で歴史的勝利を収める。
当時の新聞見出しを振り返ると、そこには「安全保障」や「国家主義」より:

  • 「社会を動かし続ける」
  • 「判断できる政府」
  • 「確認待ちをなくす」

といった言葉が並んでいる。これは重要な点だ。

当時の支持構造は、旧来型ナショナリズムとは少し違っていた。
人々は「強い国家」を求めたというより:

「決定を引き受けてくれる国家」

を求めていた。

本紙保存の地方遊説記録を見ると、当時の街頭演説でも最も拍手が大きかったのは、憲法論そのものではない。
むしろ:

「現場が動いていいと言える仕組みを、国が責任を持って作ります」

という言葉だった。

軍隊化受容もこの文脈で理解する必要がある。
人々が自衛隊の拡権を受け入れたのは、軍事力への期待ではなかった。
「判断を引き受けてくれる組織への負債感覚」だった。

当時、多くの現場では自衛隊車列が日常風景化していた。
そして人々が見ていたのは、武装した軍隊ではなく:

  • 確認なしに動いてくれる人間
  • 「やります」と言える人間
  • 決定を誰かに押し付けない人間

だった。

私は当時、この言葉を何度も聞いた。港湾労働者から。自治体職員から。配送業者から。

「あの人達がいなかったら、私達は今も確認待ちのままだった」

思想は違っても、皆そこだけは共有していた。
つまり2028年の軍隊化受容は、理念の勝利ではない。
「判断の空白」が続いた後の、疲れ果てた安堵だった。

私は今でも、2028年参院選後の夜を覚えている。
テレビでは与党圧勝速報が流れている。だが店内は、熱狂というより安堵に近かった。
誰かがこう言った。

「これで少しは、動いていいって言ってもらえるかな」

その瞬間、私は少し寒気を覚えた。
なぜならその言葉には、もう「元へ戻る」という発想が存在していなかったからである。

軍隊化は、叫びの中ではなく、拍手の中で始まったのである。

本稿執筆にあたり、本紙政治部資料、2028年参院選地方遊説記録群、神戸港湾地域聞き取り資料の提供を受けた。ここに感謝を記したい。

【次回掲載予定】
第12回「父は帰ってこなかった」

「判断を引き受ける」という役割は、家庭からも人を奪っていった。

「お父さんは、みんなに安心してもらう事をしてるんだって。」

歪み始めた「社会の構造」とは、何だったのか。