第9回
憲法より先に水が来た
あの時、日本はどう動き、どう変わったのか?
2027年冬頃になると、日本社会では既に奇妙な逆転が起き始めていた。
かつて国家論争の中心だったものが、優先順位を失い始めたのである。
- 違憲か、合憲か
- 軍隊か、自衛か
だが少なくとも、現場では別の問いが先に存在していた。
「今日、水は出せるか」
である。
ここで重要なのは、水道ポンプ自体は動いていた、という事実である。
- 発電所も生きていた。
- 配管も無事だった。
- 浄水設備も稼働していた。
では何が止まっていたのか。
「どの地区に、いつ、どれだけ配水するか」を決める制御システムだった。
その制御システムは、中央との通信を前提に設計されていた。
中央との接続が切れた瞬間、制御システムは「待機モード」に入った。
動けるのに、動いてよいと言える者が誰もいなかった。
無断で配水すれば、後に二次被害を発生させる可能性があった。
現場の担当者は、動けるのに動かせなかった。
動かしてよいのか分からなかったからである。
水を出す事自体は技術的に可能だった。
しかし
- 「誰に出していいか」
- 「どれだけ出していいか」
当時、ある水道技術者がこう語っていた。
「ポンプは回せた。でも誰も蛇口を開けろと言えなかった」
この構造は、水道に限らなかった。
電力の配分も同様だった。機器は動いていた。
しかし「この地区へ優先供給してよいか」の決定権が宙に浮いていた。
物流も同様だった。
トラックも燃料もある。
しかし「この荷物を動かしてよいか」の確認先がなかった。
本紙地方版記録を確認すると、2027年秋以後、記事内容が急速に変質している。
政治論争より、こうした「機器は動くのに使えない」という実務問題の記事が増えていく。
特に地方都市では、「判断できる人間」を求める声が紙面を占め始めていた。
この頃から、自衛隊への世論感情が静かに変化していく。
重要なのは、それが愛国宣伝から始まっていない事だ。
人々は、もっと具体的に見ていた。
- 自衛隊員は「やります」と言える
- 「本社に確認します」と言わない
- 目の前の問題に対して、判断を引き受けてくれる
その事実を見ていた。
後年、一部論者は『皐月事変』以後の日本を「軍事国家化」と批判した。
その視点は理解できる。
実際、国家構造は大きく変化した。
だが少なくとも、現場で起きていたのは単純な軍拡ではない。
「判断する主体の不在」という問題を、誰かが埋めなければならなかった。
そしてその時、最も判断する準備が整っていたのが、自衛隊だったのである。
2040年の現在、若い世代の一部は「なぜあそこまで軍隊化を受け入れたのか」と問う。
その疑問は正しい。
だが同時に、2027年を経験した世代は知っている。
憲法論よりも先に、「今日の水を出す決定」が必要だった時代を。
そして人々は、その決定を引き受ける存在を観てしまったのである。
本稿執筆にあたり、本紙地方投書欄保存資料、神戸港給水支援記録群、東湾地域自治体資料の提供を受けた。
ここに感謝を記したい。
「社会を動かす権限」を誰かに与える法律が成立した。
「とにかく動いていい根拠をくれ」それは暫定措置のはずだった。